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2005-12-22

生存証明と人の文化的?遺産

サイトがローカルディスクに還る日(ある死とテキストサイトの消滅によせて) - 小心者の杖日記
お付き合いのある人が死んでしまう事について初めて考えさせられたのは高校生のころにパソ通をやっていた時期からだろう.
弘前大学生協のBBSだったかで「生存証明」という書き込みがたくさん(笑)あったのを見たり,もっと後になるとX68kのSTedの作者TURBOさんの死が草の根BBSを駆け巡ったのを見た時とか(でもPC-VANの魔女話とかはあんまり興味なかったな).

# 「生存証明」は軽い意味で,「しばらく書き込みとかアクセスがありませんでしたが生きてますよー」という表明の書き込み.

つまりはリアルに(この表現はおかしいか,非ネットつながりの,としたほうが良いか)友人が死ぬという経験がない俺はお付き合いのある人が死ぬ,ということをネット上から先に{知った|考えさせられた}わけだ.


俺が中高生のころまで,うちの実家は両親が共働きで家の世話は祖母がやっていた.高校のときに祖母が亡くなって,祖父もいたけど生活のフォローは母が大半をやっていた(もちろん祖父もやってたけど).母も働きに出ているとは言え家のことにノータッチだったわけではないので,祖母が亡くなっても日常生活に支障が出るような不明点はあまりなかったが,それでも莫大な量の荷物や不明点が見つかった.祖父がいるうちは父母と祖父とでそれを補って,祖母の「遺産」を掘り起こしていたが,7年後に祖父がなくなると,さらに祖父の「遺産」が増えた.
残されたものが何であるのか,一つ一つを紐解かねばそれを理解出来ないため,父母はそれにかなりの時間を費やしただろう.たまに帰省した際に(とくに法事とかの席で)その苦労を聞く.

リアルに存在したモノであればそれを理解することはまだ楽なのかもしれないが,TB先のように電子的に記録されたものを読み解くのはさらに困難になるだろう.操作方法がわからなければいけないし,この手の電子的な記録には大抵本人しか知らないパスワードがかかっているからだ.

モノは価値が理解出来なければそのままガラクタとして処分してしまっていいと思うが,故人が残したwebサイトのように多数の人間の想いが介入したもの(リンクしたものと言えばいいかしら)は誰が処分を決定できるのだろう?
あれ,そう考えたらモノだって誰が処分していいんだろうかw

片付ける際には捨てるという行為が発生する.捨てるためにはこれは不要だという判断が必要だ.その判断ができない場合,大体の場合は全て取っておく.とりあえずわかんないから取っとけ~というノリ.
しかし取っておいたとしても,その後その管理は誰がやるんだろうね…電子的空間だってタダじゃないしさ.
posted at 15:07:03 on 2005-12-22 by nacky - Category: Net/Culture

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Comments

HoLY wrote:

ayamura.org(もう存在しません)はひとつの例として参考になるのではないでしょうか.
2005-12-22 16:30:26

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