10分トーク『Nacky × DJ TECHNORCH – 頭の悪いパナシ』の46回目です。
●作曲家でもあるDJが自分の曲をプレイする時の「アウラ」と異なる何か
●とりあえず適当に自分の曲をプレイしておこう、と入念な仕込みとエネルギーの込めてからの(結局同じ曲の)プレイの違い
●これはもしや、自分の曲に「ありがとう」というと良い曲になる?のか
●「水にありがとう」は直感的に違うと感じるのに、作曲者本人の自曲プレイ、エネルギーを込めた楽曲プレイには直感的は随分違和感がない
●「アウラ」周辺のエネルギーを消すためのDJ Nackyの努力
↓DJが現場に一切いないクラブ内でのリアルタイムストリーミングDJプレイ
↓しかしNackyのプレイ時のみストリーミングはフェイクで録画
↓画面にはストリーミングを引き継いでNackyの録画DJプレイが流れているのに現場にはなんと
●「アウラ」周辺のエネルギーを消すためのDJ TECHNORCHの努力
↓GRAVITY FIELDという秋葉原MOGRAでのイベント
↓法律の範囲内で可能な限りのクラブ内全消灯とブラックライト
↓とにかくDJが見えない、誰かわからないDJのノンビートDJ
↓次のDJにもステージには上がらずフロアの隅っこでPCDJしてもらう
↓今ながれている曲がDJかBGMか録画かリアルタイムかわからなくしたい
↓全部その通りやった、意図自体も伝えない
↓Nacky「DJ TECHNORCHは黒ミサがしたいんだね」
●逆に巨大化したフェスでは照明・火器・映像全てを同期するために決め打ちをさせるDJが多数
●そしてそれを「DJ FAILS/FAKE」シリーズとして徹底追求する嘘発見動画シリーズが山ほどある
●初音ミク・ボーカロイドが投影スクリーンで踊る時にバンドが全く後ろについていない曲がある、この時のファンのエネルギーはどこに持っていっているのか※DJ FAILS/FAKEシリーズの動画例 : "David Guetta is a FAKE!!!!!!!!!!"
クリエイティブな意識、意思(、意志?)は、作品・演技を媒介して人に伝わるが、
果たしてそれだけなのだろうか?
アウラのような、アウラでもないような、何かしらのクリエイティブなエネルギーは、
人と人の間でどのように伝わっているのだろうか?
というかそんなの存在するのだろうか?
再生ボタンを押すだけの、ライブ感を取り去った(アウラを消し去った)演出であっても
何か、感じるものがある。
これって、どういうことなんでしょう?
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IngressのエージェントとしてはXM(エキゾチックマター)と言ってしまいたいですがw
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例え現場では再生ボタンを押すだけだとしても、
そこに至るまでにしっかりと仕込んできてるわけですから、
その創造性が現場で広がって伝わっている、と考えることはできないかしら。
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伝わる、というよりは、共有しているというほうが良いのかしら?
となるとユングの集合的無意識なんかが気になってきます。
>集合的無意識 – Wikipedia
ルパート・シェルドレイクの仮説、形態形成場仮説なんかは、遠距離での実験ですが、
もしこれがあるなら、近距離ならなおさら?なのかしら。
>シェルドレイクの仮説 – Wikipedia
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