頭の悪いパナシ 40 – 洗脳に恐怖感

10分トーク『Nacky × DJ TECHNORCH – 頭の悪いパナシ』の41回目です。

●児童でも千回聴かせれば「ディージェー!テクノーチテクノーチ!」と言い出すようになる
●外界遮断で勉強する、つまり「洗脳」
●超効率勉強・強権的社員研修・新興宗教・心療内科的カウンセリング、洗脳は良くも悪くも強力
●既存宗教に対して新興宗教がやたらおっかないのは何故だろう
●キリスト教原理主義の無教養主義で子供に進化論を教える学校に行かせない家庭はこの場合親子代々続いていても「洗脳」?
●あなたは海外で「あなたの宗教は何?」と聞かれたら何と答えるますか?
●つまりは他人との生活習慣の根本的な差異、根本的な差異は許容出来るのか
●瞑想・マインドフルネスと催眠オナニーってもしかして同じことなのでは!?

ドキュメンタリー映画:ジーザス・キャンプ~アメリカを動かすキリスト教原理主義~(プレビュー)
※長いので端折りましたがDJテクノウチの宗教は正確には「強い人間原理 (Strong anthropic principle)」です
三浦俊彦 / 人間原理のパラドクス
Steve Reich / Clapping Music
DJ SHARPNEL / エレクトショーン02 誘惑催眠ガール

洗脳って、なんか大体悪いことのように聞こえるんですよね。
言葉の始まりがそもそも、朝鮮戦争でのアメリカ兵が捕虜になって
共産主義に染められて帰ってきたあたりらしいので、
戦争のイメージがあるのか。
それともパナシの中でも言っていた、新興宗教の(主に地下鉄サリン事件周りのアレだろうな)
イメージがあるからか。

洗脳 – Wikipedia

厳密には、スピードラーニングみたいなのは洗脳ではないんでしょうけども、
「同じ情報に長く触れていればその情報が当たり前になってくる」という現象はありますよね。

私はここ数年、オーディオ教材がお気に入りで、いろいろと聞いています。
移動中に聞き流していられるのが良いのです。

車の運転中は難しいですが、電車の中では気になったところをEvernoteに書き留めたり。
「本を取り出して開く」が無いのがラクです。

オーディオ教材の中身はビジネスだったり心理学だったりするんですが、
なんか周りにはそういう人がいない気がして、引け目のような恥ずかしさのような感じがあります。

冒頭の通り、子供なんか耳から入ったものをすぐ覚えちゃいますからね。
大人でもなかなかの定着率だとは思うんですが(中身を覚えるには何回も聞かないといけませんけど)。

もし、本を読むより耳から入った方が効果的とか、そういう実証データがあったらどうなるんだろう。
教育現場とか変わるんですかね…

しかし、その中身がトンデモナイものだったら、そりゃまた怖いのかな?と。

CMソングなんか思わず歌っちゃううのもそういう効果だよなぁ。
繰り返してると馴染んでくる…ものなのか

頭の悪いパナシ 40 – 思いついてるのかパクってるのかわからない

10分トーク『Nacky × DJ TECHNORCH – 頭の悪いパナシ』の40回目です。

●煮詰まったら色んな曲を聴く→思いつく
●それは思いついているのかパクっているのか?
●夢の中で思いついた曲の原曲保証は非常に難しい
●マンガ吼えよペンに出てくるパクリ方
↓新人漫画家に好きなマンガを聞く
↓ポケモンです!
↓じゃあ君はそれと全く同じマンガを描きなさい、大丈夫!! “絶対に同じものにならないから!”
●「僕達は何々もどきみたいなバンドです」とは人は中々言わない
●人は「自分のものです」と言い張る似たものにとても敏感
●あえて自分達自ら「パクってます」ORANGE RANGEと誰が見てもわかる合体曲名・作風
●ORANGE RANGEの宣言は上記の「自分のものです」の境目を非常に曖昧にするので賛否混乱
●一生懸命独立しようとしているのに何をやっても同じようなものになってしまうという別の問題が起きている人
●「パクリ」は言葉がきつい、オマージュ?パロディー?コピー?
●コピーバンドとは言うけれど、パクリバンドとは言わない
●コピーバンド:他人の曲ただ演奏するだけで何が楽しいの?
●DJ:他人の曲をただボタンを押して再生するだけで何が楽しいの?
●カラオケ:(スカスカにした)他人の曲をただ歌うだけで何が楽しいの?

この回の収録は、途中で笑いすぎてちゃんとしゃべってないところがあります。
「パクリバンド」って単語が今でも面白い…w

根本的に、人は人のマネをしてモノを覚えるし、
マネだって完全コピーにはならなくて、独自性が生まれてくる、
そういうものだと思います。

そうでなくても、「音楽の偶然」は発生してしまったりしますし…

自分が高校生の時に作ったオリジナル曲が、その後友人から指摘されて
T-BOLANだったかWANDSだったかのアルバム曲のフレーズとまんま一緒だ!
とが判明したことがありますが、

自分は聞いたことも無かった曲だったので、びっくりしたことがあります。

人の作品を自分の作品だと偽って出したら、ダメですよね。
コピー、オマージュ的な感じで自分の作品として出したら、…だんだん曖昧になりますね。
人の作品が下敷きにあったとしても、オリジナルティが認められたら、OKですよね。

コピー、オリジナルの判定は、難しいですね…

パクリ、オマージュの違いは、元作品への愛や尊敬があるか、
みたいな基準もありますが、
それってどうやれば明確になるんでしょう。そもそも明確にできるものなのか?

頭の悪いパナシ 39 – 二次元と三次元で六次元

10分トーク『Nacky × DJ TECHNORCH – 頭の悪いパナシ』の39回目です。

●アニメ声優がキャラの格好でライブをした時に「二次元の想像に追いついていない」と思うは何故だろう
●完全にシルエットだけでの登場で「あるべき姿」を守ったClariS
●実際にDJはしているんだけど姿を見せずにDJをしたJeff Mills
●実はDJ TECHNORCHも出演していた投影型初音ミク初登場「ミクフェス ’09(夏)」
●ギャグマンガ「うすた京介/ピューとふくジャガー」にはギャグとして登場するバーチャルCGアイドルG子
●しかし実際にやると何の違和感もない
●「どうぶつビスケッツ×PPP」がMステに出ますという告知動画、みな美人であることにとてもガッカリするDJ TECHNORCH
●声の力だけで選んでるならお顔にバラツキがあってもおかしくないのに!(DJ TECHNORCH)
●君は声の力だけの1軸で評価して欲しくて、容姿とかそういう2軸目を持ってきて欲しくないんだね
●コスプレイヤーは容姿とコスプレレベルの2軸で評価しないといけないのか
●ものごとを2軸で評価するのが苦手な人


アイカツ!LIVEイリュージョンの話を出してますけど、2014年8月でした。もう3年前か!
アイカツ好きの人によると「最近のはもっとスゴイ」らしいです。

声は声優さんに、見た目はイリュージョン3Dグラフィックに、
楽曲もストーリーも固定でスタッフさんが再生するだけ

…だとしても、(少なくとも初回は)「ライブ感」がある体験が面白かったです。

ただ、類似のことはいろいろあったんですよね。フィルムコンサートだとか。
VRとかの技術の進歩で少しずつ変わってきているんでしょう。

VRで1対1の体験ができるなないちゃんとあそぼ!みたいなソフトもありますし、
ARで人と人とが繋がる話も、ポケモンGoのレイドバトル実装なんかで近づいてきています。

さて、そういう技術で人と人とが結びついたとき、相手は本当に人だろうか?
そもそも人である必要があるだろうか?

声は声優さんに、見た目はイリュージョン3Dグラフィックに~…
というチャレンジは、「完璧な○○像を作り上げる」方向に行ってるんですかね。
初音ミクやアイカツ!なんかは元が二次元作品で、その中で既に出来てしまっている理想像を、
三次元の現実世界に近づけてきている感じがあります。

フランケンシュタインの話とやってることは根本的には変わらんのか。
ただ、現代の話は見た目も怪物ではないし悲しい結末にもならないんですけれども。

各人間の能力値の高いところだけを組み合わせれば、
究極的に能力の高い「偶像」ができあがるんじゃないか。

それにインタラクションや知能が備わると、それは人間を超える存在になる…のか?

いきなり人間が駆逐されるとまでは言いませんが、
あまりにも完璧すぎると、パナシの中でも語っていたような、
なんか僻みっぽい、嫉妬の対象になることもあるのでは…?

そういう意味では「欠けた所もある人間味のある存在」を作るあたりも
今後は研究対象になっていくのかもしれません。

そもそもこの話題の発端はバンドリだったんですけども、
そういえばミルキィとかサクラ大戦とか、舞台化という手法もあるんですよねぇ。
テニプリとかもありましたからね。
舞台が良いのか、元の作品の世界観が良いのか、ひっくるめて良いのか…うーんw

頭の悪いパナシ 38 – 自然は人工的

10分トーク『Nacky × DJ TECHNORCH – 頭の悪いパナシ』の38回目です。

●大自然とはなにか
●人工整地「田んぼ」は大自然なのか
●山林はもはや自然のまま放置すると維持ができない
●イギリス誌で「悪の権化」として(例のポーズで)初競り写真が掲載されるすしざんまい社長
●食べ物がなくて降りてくる猿をエアガンで追っ払って「動物を管理する」立場と「可哀想と感じる」立場
●千数百年前に関西から関東に来たばかりの魚は「大自然の一部」なのか

Googleで「自然 定義」と検索してみたら

1.人手を加えない、物のありのままの状態・成行き。 「―の楽な姿勢」
2.この世のあらゆる物の総称。人間の社会から離れた立場で考えた(ありのままの)天地万物。 「―の境に遊ぶ」人間をも含めて、因果的必然の世界。物体界。

と出てきました(どこかの辞書なんだろうけど)。

2の意味だと、なんかいろいろ理解できますね。
1の意味で取ってると、「自然な田園風景」みたいにいろいろ違和感が出ますね。

今回のパナシの疑問の根底には、なぜ自然(上記の1での意味)が礼賛されもてはやされ、
守られるべきものとされているのか、誰によって?なぜ?何のために?というあたりですね。

大きく考えれば(上記2の意味で)人間活動だって自然じゃないか、という反論は
もちろん可能ですが、あくまでも無意味化するための反論であって、
「なぜ」という疑問には答えてくれません。

2017年の今だから、その前数十年を生きてきた私たちだから
「自然を守るべき」と考えているんでしょうか。

列島改造ブームの頃はどういう風潮だったんでしょうねぇ。
そこから公害問題が出てきて自然への回帰が叫ばれたような気はするんですけども。

国内旅行での検疫については農水省のページを見るのが良いですね。
空港で規制についての文言は見かけるんだけど、まともに見たことはなかったな…
(そもそもイモも柑橘類の苗も持ち帰ることがないんですが)

よくあるご質問(国内旅行編):植物防疫所

「昔は良かった、今は悪くなってる」という状況に対して
「じゃぁ昔に戻せば良くなるよね」という解決策と
「じゃぁ新しい形で良さを追求しようよ」という解決策と
どっちも解決策にはなるんでしょうけども、
後者の方が冒険を伴う(リスクがありそう)けれども、
社会の進歩・発展としては近い場合が多い気もするんですね。
もちろん前者を取ることが「英断」であった場合だってあります。

十分な議論、検証、そして最後の決断は、
一朝一夕に知識を得て判断できるようなものではないと思うんですね。
じゃぁどうやって決める?みたいな学問領域もあります↓

頭の悪いパナシ 37 – 曲の好き嫌い良し悪し

10分トーク『Nacky × DJ TECHNORCH – 頭の悪いパナシ』の37回目です。

●beatmania/DDRが強引に興味のない音楽を千回近く聴かせてくれたので全部好きになった
●音ゲーはジャンルのカタログ本
●子供の頃からやっているゲームの音楽も同様に聴きすぎて大好きになってしまう
●千回聴かなきゃ好きにならないような曲ってそもそも良い曲なのか?
●それとはまた別に一聴き惚れの音楽がある
●一聴き惚れの音楽は意外と30回で飽きちゃう曲があるけど、千回聴かされたゲームソングはもう飽きることができない
●それって美人は3日で飽きるってこと?
●劇伴はそもそも作品を邪魔しないようになっている(あえて美人にしない)
●ゲーム・作品中で一番盛り上がっているシーンの音楽に強い思い入れが
●それはつまり「物語がない一枚絵は買わない」ということ?(音楽のエピソード記憶)
●エロゲーの「一番イイ」シーンのBGMは強く印象に残るのか
●今の子供達にとってYoutuberの著作権フリーBGMは一生の思い出になるのだろうか

DJでありラジオパーソナリティでありレーサーでもある私の心の師匠、
ピストン西沢がよくやる傾向として
「一発屋みたいな流行りかたをした曲を、ブームが去った後にわざわざかける」
というのがあります。

再評価してるみたいで、これはこれで良いんですよね。
それと同時に、その曲に対する思い入れが感じられます。
世間の評価なんて関係ない、俺は好きだからかけるんだ、という感じ、ね。
(たぶん本人はそんな言い方しないと思いますがw)

2017年にもなって安室奈美恵のTRY MEとかかけないだろう普通w

受け取る人によって文脈が異なるんだから
「曲の良し悪し」と言われるものは、曲そのものの絶対的評価ではなくて、
じつは「私はこう思った」という、すごく各自の内面に依拠したものなんですね。

なので、万人の文脈に入り込んでいった「ヒット曲」ってのは、なかなかすごいと思ってます。
また、ヒットさせたかったら受け手側に文脈を植え付ければ良いので、
ストーリー性に乗っかったプロモーション展開や劇伴(ドラマ主題歌でもいいです)というやり方は
「曲そのものの絶対的評価で流行る」ことを最初から破棄してるんですね。
というかそうしないと流通しないしね。

そういう文脈に依拠した感動だとか評価をしているにも関わらず、
「この曲はいい」
みたいな言い方をしてしまうのは、なんだろうね、
自分の文脈を隠してる、照れ隠しみたいなもんなのか?

しかしその文脈前提であった曲の聴き方を、
あえて他の文脈にぶち込むみたいな行為が、前述のピストン西沢であり、
アニメやゲームの劇伴であった曲をバラエティ番組の関係なさそうなコーナーに使用する行為なんですなぁ。

それはそれで、新しい世界が開けるかもしれなくて面白い。
曲そのものの再評価のきっかけを与えてくれるとも考えられる。