10分トーク『Nacky × DJ TECHNORCH – 頭の悪いパナシ』の7回目です。
●曲の完成ってどうなったら完成なの?
●創作する人間は必ず陥る「(自分)天才病と凡才病」
●天才病の特効薬は「実家の**さん」
完璧を目指そうとすると、いつまでも完成しないという話は有名だと思うんですが、
Facebookの座右の銘とされる「Done is better than perfect」は、わかりますねぇ。
>ザッカーバーグの名言は本物・偽物どっち? – Hagex-day info
1つを完了(あえて完成とは言わないことにしましょう)すると、
「こうすればよかった、ああすればよかった」という感情が生まれてきます。
それを、次の作に向けるためには、完了したものを完成したことにして、
さっさと外に出してしまうことだと思うんですね。
ここで完了、完成にしておかないで、また手を入れる方向にもどると
いつまでたっても完成になりません。
そうしているうちに「いつまでも完成できない自分」に嫌気がさしてきてしまって、
気持ちが落ちていきます…
じゃ、どこに完了・完成のレベルを持ってくるのかという話なんですが、
これがいつまでも決まらないんだなぁーw
仕事なんかで納品の仕様が決まっているなら、それが満たされていればOKなんですけども、
そうじゃない部分で、自らのこだわりをどこまで入れ込めるかとか、そういう領域は
本当に決まりません。
他人に見てもらう、実家の母に見てもらうというのは、
客観視して問題ないかどうかを確認する作業、
つまり、完成のレベルとして十分か、
利用者側として(最高ではないにしても)問題ないかどうかを確認する作業なのでしょう。
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面白いのは、見せる(聞かせる)瞬間に自分の中ですべてが解決してしまうというところ。
つまり相手なんかいらないことになっちゃうのに、
でも相手が必要。
でもペッパー君とか対話ロボットに見せるのとは、まだ違う感じですねぇ…
人間であるという文脈が必要な感じ。
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話題から外れますが、ペッパー君が同じことを繰り返し言ってきたりすると、
危ない感じがしてイイですよねw
あと電源を落としたときのペッパー君の姿な…
もしかしたら子供がペッパー君を見てるときの気持ちは、
ロボットという中身がわかっている大人が見るときとは、大きく違うのかもねぇ…
そう、自分がこう思った、認識したからといって、
周囲の人間も同じように思って認識しているとは限らないのですよね。
でも同じものを見た状況だけを前提に、同じものを理解しているとして話をしがち。
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文脈のあるなしの話をしているのに、簡単に「認知行動療法」なんて言葉を使ってますね。
詳細はググっていただくとして、検索するとうつ病に対する効果がやたらと出てきます。
が、うつ病まで行ってなくても、そんなのまったく関係ないと思っていても、
認知行動療法で言われている「感情と行動の関係」を知っておくと、
悩みやストレスがすっきりとしてきます。
この本はやたらと気になるようで、私も4人にプレゼントしましたし、
購入した人も多い感じです(私視点)。
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