攻略本ってただのデータの塊、ネタバレするかしないかの内容…みたいな話が出て、
そういえば最近の攻略本ってそういうものかもしれないなぁなんて思いまして。
昔の、ファミコン時代の攻略本は、そのゲームそのものを持ってなくても遊んだ気分になれたり
(でも最後の肝心の部分はゲームをやらないとわからないんだけど)
ゲームをやっていない時間でも読み返せば面白さの追憶だったりして、
最近そういうのってどうなのかなーと気になったわけです。
そもそも最近のゲームは携帯型だったりスマホでやったりするわけで、
ゲームは1日1時間!とテレビの占有権争いがあったような時代とは違いますよね。
そういえばゲームそのものもそうだけど、どういう状況でゲームをしていたか、
そこまで知ることができる本ってあったかな?
で、思い出したのがゾルゲ市蔵『8bit年代記』(マンガ図書館Zで無料配信)と矢野徹『ウィザードリィ日記』
8bit年代記は著者の思い出とともに昔のマイコン機種やゲームを紹介していく内容ですが、
まぁ、あったあった感w
ウィザードリィ日記は、角川文庫で読んだ当時が小5とか6だった気がするので内容をはっきり覚えてない。
ただどっちかというとゲームそのものではなくて、
それを取り巻くパソコン事情や自身の社会的体験だったりが入っていた気がする。
(秋葉原でBASFのFDを買った話だけなぜか覚えている)
そういう記述の中で、当時のゲームが人の生活の中でどういう位置づけだったか、
社会の中でどういう感じだったのか、
そういうのを知ることができるタイプの刊行物は、実は少ないんじゃないかしら…
もしかするとゲーム雑誌のなんでもないコラムがその役割だったりしたのかもしれないけど、
まとめて刊行されてないものか…
2000年代以降は日記サイトやblog、SNSに分散されてはいるものの、読み物としてはどうだろうか…
うーん。
ウィザードリィ日記についての参考:
■矢野徹さんの「ウィザードリィ日記」を読んで思い出す 1980年代のワープロ・パソコン事情 | 知的生活ネットワーク
■絵画材料メモ::矢野徹(著)『ウィザードリィ日記-パソコン文化の冒険』を読む。
■WizardryⅠ日米比較あれこれ
■ウィザードリィ日記 – 矢野徹 – 気ままな読書ノート
追記: twitterで情報いただきました。読んでみます。