チョコ0個ディスコ2025

2025年のバレンタインデー。単身出かけることになっておりましたので大館能代空港から羽田空港へのANA便に乗りました。
ここのところ毎年、バレンタインデーには搭乗者にチョコレートのプレゼントがあるらしく、JALはロッテ、ANAは明治らしいとの話。

出かける前からヨメには「飛行機でもらえるのいいなー」的なことを言われながら搭乗。過去にはドリンクサービスの際にもらっていましたのでちょっとだけ期待していましたが

来ない。

チョコレートに合わせるべくブラックコーヒーをお願いしたというのに。
機内WiFiを繋ぎANAキャンペーンのページを見ると、一部便では実施していません的な注釈が。一部便に該当してしまったか???

しかし、降機時にしっかりもらえました。
上空のドリンクサービス時だと寝てたりして配れないからかなー?
ありがとうございました。食べずにヨメに持って帰ります。

エビデンスだ科学だ論文だ、それで人は良くなるのか(チ。から)

最近どこかで、「医学は科学じゃない」という主張を見ました。動画で語られてたんだったかな。医療の現場で言えば、因果関係が一対一になってない、原因がよくわからないまんまどうにかなっていく、心因性というのもある、などなど。結局最終的には「医は仁術」なんであるというのが結論だった気がします。

まぁ小中高で習うような簡単で明確な科学でないことは確かです。数々ある現象を分析して場合分けして細かい点で見ていけば、その小さな観測範囲内では科学的に成り立つことがあるのでしょう。医学という「大きな範囲の科学」はそういった「小さな科学」の積み重ねで成り立っているとも考えることができる。なので科学的な側面はもちろんあるのです。

しかしそういった根拠になる論文やら証拠やら、これらは時代が経ってひっくり返ったりもするもので、完全に科学的に解明されたから大丈夫というものはあまりない気がします。論文が権威ある雑誌に掲載されたから正しいんだという話もなくて、「今のところは確からしい」と言われているに過ぎないと思います。そこからさらに追試され、議論と研究が重なって、「より確からしく」なっていく。「現場の科学」ってそういうものなんじゃないでしょうか。

こういう科学的な態度の積み重ねで、個人だけじゃなく歴史的にたくさんの人々の積み重ねがあって、科学は成り立っているはずです。
しかし昨今はそういった態度を抜きに「エビデンス」「科学的」「論文がある」などを鵜呑みにしている人が多い気がしています。というかメディアや政府までがそうなってませんか。

人間が悩むことって、大体が人間たちの間で起こることです。自然を相手に発生するような困難は、悩んだって仕方が無い。先人の知恵を借りて乗り越えるか、諦めて過ぎ去るのを待つぐらいしかできません。しかし人間の決めたルールだったり(法律や国家間の話もみんなそう)、人間関係だったり、結局人が何か言い出して従わせるようなことにしか悩みの原因はないように思います。

でもまぁ、人間が決めたことなら絶対じゃ無いんだから、なんとかして変えていけばいい。それに伴う困難もまた人間が決めたことだったりするもの。

悩みは人の中にしかない、と、まぁこれもどこだったか忘れましたが、養老孟司先生だったか、そういうことを言ってた気がします。仏教の悟りとかそういうのもこういう方面の考え方なのでしょう。他人がどう考えてるのか悩む自分、その自分の物事の捉え方、枠、フレームのようなものが、悩みを生む。

「だったら見方を変えればいいじゃないか」というのは自己啓発的ですが、それにも限界はあると思います。なぜなら、「それは違う」と思ったことに対して、周りの人が、世の中の人が圧倒的に「わかってない」場合です。こうなっちゃった人が山に籠もって世捨て人になるのかも。だけど、あきらめきれないことだってあるでしょう。そういうときに、どうしたらいいのか、悩みます。

去年、そんな話を飲み会でしていたら「チ。―地球の運動について―」を勧められました。年が明けて、Kindleで小学館50%ポイント還元セールがあったので読みました。内容は天動説以外認めない宗教に対していかに地動説が対抗していったかという、文にしてみれば軽そうですが、そこに拷問や死が積み重なりまくる重たい話です。

古くは宗教的な「教え」、今では「科学である」ことを信奉した人たちが、異端を攻撃する構図、これはとても気をつけておかねばならないことだと思います。

昔、水俣病という公害がありました。なかなか原因が確定しない中、東京工業大学の教授が別の説を唱え、そちらが支持された結果、真の原因究明が遅れたということがあったそうです。恥ずかしながら私は最近になってから知りました。話の一部は東工大の特命教授になった池上彰さんが、東工大のページに載せています。

今なぜ東工大生に教養が求められるのか 池上彰のリベラルアーツ教育のススメ | リベラルアーツ研究教育院 News | Science Tokyo リベラルアーツ研究教育院

まぁ、池上彰さんもテレビ番組で片寄ったことを言ってたりしますけどね。それぐらい、話は自分が確からしいと確信するまで疑ってかからねばならないのだと思います。

しかし、疑ってばかりじゃキリがない。全部が全部自分で調べて確信を持つのは大変です。だから、ある程度の専門的な知識を持っている(であろう)人の言うことを信じて取り入れていくのですが、常に他の情報と合わせて多角的に見る姿勢、これはとても難しい。そして答えが無い。答えが無い中である程度の確からしさに載っていく覚悟がいる。そういう人を探し出すには、単にエビデンスだ、科学だ、論文だ、ではダメなのです。その主張している人の生き方、背景、態度までも見て、共感して、乗っていかないといけない。もちろん時には距離を置いて冷静になることも必要です。

近年マスコミは正しいことを言っていないと考える人が増えているようですが、じゃぁネットが正しいことを言っているかというと、そうではない。ネットをひとくくりにしていることが間違っている。名も無い多数の人が勝手に各々言っているだけなのだから、余計に正しさを見るのは難しくなっているのです。だから、そういう情報の波を乗り越えるのに、哲学だったり文系的な学問をもっていかねばならないと思います。

文系の方が上だっていうんじゃないですよ。文系も理系も結局どっちも必要になるって話だし、なんだったらどっちもいらない、単に人を信じる信じないみたいな話かもしれない。一緒にこの国で生きてる人同士だという連帯感みたいなものを感じられるかどうかかもしれない。
こういう態度はなかなか「保守」的だと思います。みんなで共感をもって「こっちだよなぁ」と思える選択を繰り返していくより他ないのかもしれません。

片付けようと思うこと

まぁアレな話、自分は診断を受けたことはないですが、子供の頃の記憶や周囲からの話を聞くに、ADHD傾向があったことは確かでしょう。アメリカの経営コーチ、リー・ミルティアが言うに「起業家ADHD」なる傾向もあるようで、そのへんはバッチリ当てはまります。なのでその対処法を押さえておくことで、自分を操縦できるようになります。なりました。50歳手前にしてようやく。

そんなわけで自分は色々と片付かない。テスト前になると部屋を片付ける、ああいうタイプそのまんまです。締め切りが近づかないと動かない。なまじ潜在的な処理能力があるからそれでなんとかぶん回してやってきた。しかしそうもいかないこともある。それに漏れてしまった案件に当たった皆様、ごめんなさい。

どうやってそれに気づいていったかは、複合的すぎてはっきりとはしませんが、ざっとKindleを見てこのへんの本は良かったなーというのを挙げておきます。

『なおりはしないが、ましになる』カレー沢薫
突き抜ける社長 伸び悩む社長』城ノ石ゆかり
『オタクの断捨離 捨てられないオタクを救済!』カレー沢薫
まぁまだたくさんあったとは思うけどぱっと出てきたのがこのへん。

などと話していたら、部屋の片付けでは、「ハピかわ」シリーズがヤバいと聞きまして、さっそくKindleで入手。

わたしを変える新習慣 【ハピかわ】かたづけのルール
冒頭のタイプ分けのコーナーだけで大・納得。
家族みんなでやりましたが、私プリンセス、ヨメフェアリー、みんなこの2つw

これは子供向けではあるけど大人もビシバシ当てはまってザクザク切り込まれる。かえって言い訳がきかない。

他には起業前後からやっていたことは、GTD(Getting Things Done)ですかね。本は読んでないけど、当時web記事とかで結構出ていて、見よう見まねでやってみた結果、そこそこ役に立っているとは思います。
ただ、GTDをサボって離れている時期は、ダメw

片付けることが目的じゃないんだ、生きやすくなることなんだ…
などと自分を手懐けて、それもまた自分、でも先へ進みたいと思うことも大事、かなぁ。

政治の話題を避けたかった、けど避けられない

昔、漠然と昔、日常の会話で政治の話をすることはあまりなかったと思う。野球と政治の話は避けろ、なんてことも言われていた。

90年代中盤、自民党一党体制が崩れて連立がどうのこうのと動いた時期に、とんねるずのテレビ番組だったかな、人形劇で政治の話を取り扱っていた。お笑い番組で政治の話に切り込んでいたので、「避け」ていた人としてはいい意味でショックを受けた。ただ、その頃は政策の中身は知らなかったし、党がどう合従連衡したかとか、失言を揶揄するような内容だったかと思う。

その後2000年代に入って小泉郵政劇場だとか、リーマンショック、仕分けの民主党政権、震災、安倍長期政権と時代が流れる中で、自分自身は相変わらず政治の話は避けたい気分が強かったように思う。

相変わらずメディアの政治の取り上げ方は、スキャンダルや言葉の揚げ足取り、政治とカネの問題が中心で、国民生活がどうなるとかいう話はあまり扱われていない気がした。

一方その間に、私は結婚して子が生まれ、稼いで家族を支えなければいけない立場となっていた。そうなると景気は上向きのほうが良いし、税金は払わねばならないし、「先行き不安」というものが自分に深く関わる現実的なものとして感じられてくる。年金、税金で損していないか、税金で損したにしても回り回って世の中に貢献するような使い方になっているのか、気にするようになってくる。

こうして、政治の話は日常の会話の中に入ってくるようになった。ただし、テレビや新聞など既存メディアで取り上げるようなスキャンダルやカネ問題の追求ではなく、本当に政策が国民を豊かにしているのか、という本質的な方向でだ。

自分の意識がそちらに向いたからなのか、それとも本当に世の中全体がそうなってきたのかはわからないが、ネットでも現実に会う人との間でも、政治の話題は増えてきたように感じる。特に、税金等の国民負担率が4割を超えるあたりから顕著に感じる。やはり生活に直結する問題が多く噴出しているのだろう。

近年多くのSNSが、純粋なタイムラインではなく、話題の傾向を把握した流れを作るようになっているため、「お友達同士の日常的な話題の交換」が薄れ、傾向によっては私が昔避けていた政治の話が流れてきたりもするようになった。もちろん「そういうのはいらない、昔の交流の場を返して」という気持ちもわかるのだが、そもそも生活が成り立たなかったら交流も何も無いのである。故に、私は昔の殻を破り、政治の話をしなければならないと思い始めた。

年末に見た、京大の浜崎洋介特定准教授の話が非常に染みた。景気が良かった頃には、政治の話や就職の話などは二の次で、なんとか好きなことをやりたいという若者がたくさん存在できた。景気が悪くなれば小さく守りに入って生活するためだけに生きることになってしまう。これの原因は自助努力でもなんとなくの世の中の雰囲気でもなく、明確に政治、政策が悪い。しかし何度政権交代しても改善されないのは、与党も野党も誰も経済がわかっていないまま、ひたすら税金を取り続けるからだ。

じゃあどうすればいいのか。経済がわかっている議員を多く誕生させて政治を変えるしかない。そのためには、我々が政治と経済を理解しないといけない。そういう話も、今後はしていこうと思う。

浜崎洋介氏の話は下記YouTube動画で。

年明けから帰省

あけてました。おめでとうございました。
日記ならぬ週記も既にペースが乱れていますがとりあえず書こう。

現在自分の地元の秋田県能代市に住んでいるので、正月はヨメ実家の東京へ帰省です。
明けてから行きました。
そういえばお盆も彼岸もなく墓参りに行っていないことを思いだし、義母に伝えて一緒に墓参りに。

そのとき上空を飛んでいた飛行機。

たぶんANAのスターウォーズ塗装機だよね。

あとは津田沼のモリシアにある三才坊へ行ったりしました。

昔、神田須田町で仕事していたときに通いまくっていた海老専家というお店のマスターが移転してやっているお店。相変わらずのうまい四川中華。
津田沼モリシアは3月で取り壊しになるそうで、今は移転先を探しているそうです。

他、バスケの日のイベントをやったり
バスケの日!Basketball Birthday Classic 2024 in 東京・狛江 « 12月21日はバスケットボールの日

武蔵野の森にジュニアウインターカップを見に行ったりしてました。

片道600kmドライブ往復のおかげで疲れが抜けない。

今年はいろいろ形に行動に出して行こうと思います。