頭の悪いパナシ 57 – 見抜く力、教養

10分トーク『Nacky × DJ TECHNORCH – 頭の悪いパナシ』の57回目です。

●一番大切な調べ物をGoogleでできるのか?
●「DJ TECHNORCH Wikipedia」の事実誤認を見てからWikipediaすら信用できなくなったDJ TECHNORCH
●「TVとネットどちらが信頼に足るか?」で選択肢に「ネット」が出て来るのはそもそもおかしいだろ!
●どこまで行ったら「専門家」なのかの線引/3.11以降はそもそも「専門家」不審に
●Aであって欲しいと思っている人が気がつくとAであるという情報にたどり着くサイバーカスケード時代から
→AではなくBだと知らされても「それでもやはりAに違いない」と固く信じ込むフェイクニュース時代に
※その後、焼け石に水のBingも駄目でした

キャラクターアニメーション:ガしガし

目と耳をどうのこうの言ってたのは、攻殻機動隊SACの冒頭のセリフが言いたかったんですねw
でもあんまり文脈的に合ってないような気がした。
「世の中に不満があるなら自分を変えろ、それが嫌なら耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ」

そっすね

検索に対するノイズは、検索エンジン側も対策はしているでしょうけれども、
それよりも、今のところは人の能力で、検索ワードを厳選するだとか、
条件指定をするだとかで、求める結果にたどり着ける能力みたいなのが必要だと思います。

テレビや新聞、ネットは確かにメディア=媒介物=媒体ですけども、
その陰には発信者がいるものですから、
情報が信頼できるできないというのは、発信者によるはず。

ただ、テレビ局、新聞社、ネットのサイト、はそれぞれ、似通ったような
ライター、編集者、発信者を抱えているので
社ごとに傾向が出てくる、という構図ですよね。

で、誰の情報が信頼できると判断するか、
それを判断する根拠はどうやって養われるのか、

放送の時には浮かんできませんでしたが、
そういえば池上彰が「それが『教養』の役割だ」と言ってた気がします。
手元に本が無いから探せないが、確かに覚えてる。


(この本、パナシの中でも何回か貼ってますね…)

頭の悪いパナシ 56 – クラブ怖いの正体

10分トーク『Nacky × DJ TECHNORCH – 頭の悪いパナシ』の56回目です。

●「”クラブは怖くないよ”っていうけれどさぁ、あなたが言うその”クラブ”って…」って言われてたお話
●クラブイベントとアニソンクラブイベントはヒップホップとヒップホップダンスぐらい違う
●DJ TECHNORCHの場合はディナーショウやジャズクラブ形式のイベントに行くことが怖かった
●音楽が聴きたくて仕方がないのに、自分以外の全員が知っているであろうその場のマナーを知らないことの方が勝って「怖い」

キャラクターアニメーション:ガしガし

昔の「クラブ=怖い」の話って、
治安が悪いとか、違法な薬物がやりとりされてるとか、
VIPルームが襲撃されるとか、ぼったくられるとか、
そういう話だった気がしたんですが(今でもあるにはあるか…)

「クラブ怖くないよ!おいでよ!」の話って
上記みたいな話の割合は低くて、
「ぼっちにならないよ」「コミュニケーションできるよ」
みたいな割合が高い気がするんですねぇ。

なので、怖いか怖くないかの判断基準は
「誰も知ってる人がいない場所においてコミュニケーションを開始できるスキル」
みたいなことになるんですかねぇ。

DJとかやってますしイベントも立ててますけど
初対面の人と話すのは未だに避けたがる傾向があります、私w
(だから先ずポジションを取りたがる傾向があるんだと自己分析している)

でも場を共有してると自然と話せるようになりますね。
そのへんの慣れなんですかねぇ。

高齢の方が多くなりがちな場(民謡でも、俳句の会でも、なんでも良い)では
「若い」(相対的に)というだけでポジションありますからね。
そこを変に謙遜しないで受け容れて素直にコミュニケーションすると
「怖い」ってことはなくなると思うんだなぁ。

あらかじめ自分は右も左もわからないんです!って宣言できると
そういう場でのふるまいは、教えてくれる人もいるだろうし、
ずいぶんラクになるんですよね。

でも、クラブとか、一人で行くと誰に聞いて良いかもわからんのですよね。
で、居場所がなくなってぼっち感が出てきて
勝手がわからない行動を周りがにらんでくるような気がしちゃう。
そしてクラブは怖くなっていく…

そのへんの恐怖感を酒でかき消す方もいらっしゃいますが
身体をいたわって、ほどほどにね…
「コミュニケーションするために酒を飲まなきゃいけない」という考えだと
依存症になってしまうこともありますので…

頭の悪いパナシ 55 – 最先端はいつもシゲキテキ!

10分トーク『Nacky × DJ TECHNORCH – 頭の悪いパナシ』の55回目です。

●全てのエンタメが年々極端になっていく、というお話
●ゲーム・映画・音楽、何十年も経つと全てが極端に
●エンタメ・芸術は年々極端になるが、同時に選択肢も増える
●歴史を追うに連れて選択肢が増えていくのでメインストリームの人数が減っていく?
●新しいものっていつも極端、だって今までに無かったのだから

新しいモノって刺激的ですよね。
刺激が楽しい。
でも刺激に疲れて、既存のモノに戻って和んだりする。
でも新しいモノが出てきたからこそ、既存のモノと選ぶことができるようになった。

それは、いいことだろう?

自分も最新(と自分で思ってる)の音楽を買いまくってたのは20歳前後の頃が中心で
あとは、なんだろうねぇ、気になるところだけつまみ食いみたいな感じでしたかねぇ。

自分で買って追いかけてなくても、まぁテレビやラジオやネットラジオから聞こえてくる音は
最先端で刺激的でしたかねぇ。

でも刺激的なものばっかり追い続けることも、別に楽しいわけじゃなくなった、のかなぁ。
いや、実は追っているのかも。でも対象が音楽じゃなくなったのかもね。

amazonプライム特典に入っていたので、
あぶない刑事、もっとあぶない刑事、ドラマシリーズ全部見てしまいましたw

当時これが刺激的だったんだなぁ、と懐かしさもあれば
あらためて見ても刺激的だった部分があったりもしました。

先端で頑張ってたモノの良さって、時代を超えるものがあるかもしれません。
…好きだから、そう思い込んでるだけかもしれませんw

頭の悪いパナシ 54 – 損得勘定(感情)でゲームしてる

10分トーク『Nacky × DJ TECHNORCH – 頭の悪いパナシ』の54回目です。

●親切過ぎるゲームと不親切過ぎるゲーム
●ゲーム内で説明せず、紙で取扱説明書がついていた
→当時のゲームにはゲーム内で説明する親切さの余裕はない
●常にボーナスや侘び石を「得」をもらっていると、そうじゃない時にむしろ「損を感じる」
●点数をためるためのクエスト(カードバトル・シューティング等)と、その点数をつかった本戦
→そのクエスト自体がとっても面白くあって欲しい!→ソシャゲ向いてない
●Mixi サンシャイン牧場
●昔のゲームは大体異常に不親切で、その不親切なものを百回もやるとなんとなく面白さがわかる
→そもそもそれだけ不親切なものに努力させるモチベーションはどこから得ていたのか(今なら無理)
●テクノ・ハウス伝説の楽器、Roland TR-909/TB-303の音作りの異様な不親切さ
●不親切なゲームを一度もプレイしていないプレーンな私達に
→不親切なレトロゲームと親切なソシャゲを同時に並べらたら恐らくソシャゲをプレイするだろう
●昔のゲームは不親切なゲームしかないので選ぶための選択肢がない
→ゲームのモチベーションを挙げるための「下駄」履かせがいらなかった
→不親切なゲームを強引に千回ゲームオーバーさせると出て来る楽しさがあり
→今親切・不親切のゲームの選択肢がある中でゲームメーカーが敢えて千回ゲームオーバーさせるのは至難の業
(現在は沢山死んで学ぶゲームも、死ぬことで何が学べるかちゃんとわかるようにある程度親切に作ってある)
●それは車で例えるならば (※反証:でも最新の車って運転席でチュートリアルみたいなことをしてくれる)

自分の努力が楽しい
集めるのが楽しい(バーチャル金持ち)

まぁ「レトロゲームvs現代のソシャゲ」じゃなくても、
昔からそういうものかもしれませんねぇ。

セガのテトリスはデモ画面でのチュートリアルがありましたね。

TR-909のパネル。ぱっと見はこれでどうやって音楽を作れと!?って感じです。

説明書を見ながらポチポチしていくようなものを、ライブパフォーマンスに使う人もいる。

最近でもひたすら不親切(でもないけど)なゲームはありますね。

N++も出てたな。

昔のゲームは不親切がゆえに、楽しみ方がうまく伝わらなかったりして
いわゆるクソゲーとかを生み出していたんじゃないかという気がします。

でも本当の損得は「時間を何に使ったか」に対する感情じゃないかなぁ。

頭の悪いパナシ 53 – セーブ(保存)したいもの

10分トーク『Nacky × DJ TECHNORCH – 頭の悪いパナシ』の53回目です。

●修行ゲームと蓄積ゲームのお話
●ストリートファイターはアカウントデータが消えても腕前として身体に「修行」結果が残るので特に問題がない
●1年半努めた「蓄積」ゲーム=ソシャゲのデータが消えたらやる気が…
●DJ TECHNORCHは多分、修行ゲームしかやったことがない
●音ゲーは修行ゲームだから好きだ。基本的には腕前が残る。
●昔の音ゲーは電源が切れると消える当日(その台だけの)ランキングしかなかった
●大昔のゲームは大抵修行ゲーム
●ドラクエ初のデータ記憶チップ(すぐ消える)
●「修行」の腕前は何故か数年たっても身体に残っている
●DJ TECHNORCHはDQ/FFを全くやってこなかったので(NackyはDQ3まで)
→成人して気がついたらラノベ・異世界系・ソシャゲで「剣と魔法の世界」が基本になっていることに驚き
●同人音楽でもDQ/FF/MOTHERを通過したかしてないかで若干の音楽感の差を感じる(ゲーム経験の物語)
●ファミコン時代、他人のデータを消してしまうことへの恐怖(現代のソシャゲで他人のを消したら訴訟だ!)
●リュウとケンを何万回プレイしてもリュウとケンそれ自体は何も「蓄積」されず、強くならない
●修行ゲームと蓄積ゲームはゲームとして随分違うようだ。
●次回「不親切過ぎるレトロゲームと親切過ぎる現代ゲーム・ソシャゲ」続く

キャラクターアニメーション : ガしガし

いわゆるドラクエ的なRPGって最後にやったのが、たぶんDQ3なんです。
格闘ゲームもずっとバーチャファイターをやってましたけども、
まぁ、「腕前」があれば別にデータ蓄積はいらないんですよね。

スマホゲームも、アイドルマスターの「デレステ」をやってましたが
半年前ぐらいにやめてしまいました。
音ゲー部分は好きだったんですけどね、毎日続けろ的な要素がな…

Ingressは2013年から続いてますけども、
これは毎日やらなくてもいいところが続いてる理由じゃないかなぁ。
同様にポケモンGOもたまーに思い出したように起動してます。

コインを入れて、ファミコンならば電源を入れて、
ゼロからゲームを始めて、しばらくしたらおしまい。
実績などは残らず、経験だけが残る。
そういうビデオゲームが、まぁ、原始的とでも言えるのかな。

短期的に蓄積、保存をしていって目的を達成する。
次のゲームはまたゼロから始める。
みたいなのは、例えばときめきメモリアルとか、
パラメーター蓄積で、セーブして続けていくんだけども
また「育成し直す」ことで別プレイができる。

そう考えると
ドラクエとかFFも、上記よりも長期スパンではあるけれども、
またゼロから始めるようなこともできるゲームでしたね。

これらに比較すると、スマホ時代のソーシャルゲームと言われるものは、
蓄積、コレクションそのものが心の財産になるので
ゼロから始めづらい(始められないわけじゃないが、とうていやる気にならない)
という特徴があるかもしれません。

剣と魔法の世界が当たり前になったの、なんなんでしょうね!
もちろん私もその中で生きてきましたけども。

時代劇が当たり前の世界という年代もいるだろうなぁ。

ゲームが世界観の配布媒体として非常に強力だったということか…