頭の悪いパナシ 32 – 時代の変化は認識次第

10分トーク『Nacky × DJ TECHNORCH – 頭の悪いパナシ』の32回目です。

※タイトルコールをした方がNackyです
(今回が正しく32回です)

●ある一つのものに対して双方異なったイメージのまま対話が進んでしまう話
●「日本製」という言葉から想起するイメージは世代によって正反対
●あなたの「東南アジア」から想起するイメージは何?
●一つの単語にほぼ反対のイメージを想起する人間が併存している
●商店街の人々に「メールは不安だからFAXにしよう」と提案されるが、私はFAXの方が不安だった
●イメージの違いによって手段が共通化されていないと対話の進行上困る
●LINE既読スルー問題はLINEに対するイメージの違いから起きている
●現代のSNS・メッセンジャーアプリでは「話し言葉」で考える人と「書き言葉」で考える人が併存している
●LINEは手紙?電話?それともその間?
●手紙だと思っている人間と電話だと思っている人間のやり取り
●その投稿場所はパブリックスペースなのか、プライベートスペースなのか

話が前半と後半で変わっている気がしますが、一貫してテーマは
「パラダイムシフトを認識してるかどうか」
です(と言わないと不安がw)

クォーツ時計でスイスの時計産業が打撃、という話は「クォーツショック」でググればたくさん出てきます。
公開と1週間ずれてますが、6月10日は時の記念日でしたね。

技術革新に伴って、人々の生活や動きも変わってきますよね。
昔、歴史教科書に学んだような革命的なものでなくても、
現代ではアプリ1つで変革が起きちゃうこともしばしば。

実際に使ってみないとわからないという面もあるので、
身近に技術革新やコミュニケーションの変化が来てない人には、時代の変化は感じられないかもしれません。

同じコミュニケーションメディアを使っていても、
相手があなたと同じ使い方をしているとは限りません。

そんなもんよねー、と広く構えて放っておけば、まぁ、ラクかな…

あとは、事前にどのメディアでどう連絡するかを決めておくことですね。


2006年9月の写真。ガラケー(FOMA)をパソコンに繋いでパケット通信してたんだなぁ。場所はLinux Cafeです。

頭の悪いパナシ 31 – 発言の自由と言霊・呪詛

10分トーク『Nacky × DJ TECHNORCH – 頭の悪いパナシ』の31回目です。(32回目って言ってるけど)

●自意識過剰なDJ TECHNORCHさん
●悪口を言う人のTwitterはいつも誰かに悪口を言っている
●褒めまくる人のTwitterはいつも誰かを褒めまくっている
●「悪口を言う人」の悪口と「褒めまくる人」の賞賛をやや差っ引いて聞いてしまう
●どれが正しい(?)作品単位への批評なのかよくわからない
●そのアーティストのことが好きすぎて激烈に批判しちゃうファン
●大好きなあなたにこんな姿を晒してほしくない!!ので批判する
●腐女子の「本人に絶対にバレないようにする」BL的愛で方
●「私達の嫁の良さを(公開で)共に語り合おう」とする男子オタク
●ファンとアンチは大体一緒
●批判されたくないから作品を隠そう!

何を言おうがその人の勝手ですけども、
言われた側、言及された側は多かれ少なかれ気にしてしまいますよね。
冷静になって考えれば、発言した人がそう見ただけの話なので、
勝手に言わせておけば良いし、いちいち気に病む必要もありません。

なので、受け取る側としては、都合良く解釈して無駄にストレスをためないのも良いかな、と思います。

人の発言は都合良く受け取ったり適当に流せばいいんですが、
自分の発言は、自分に責任があると思います。

有言実行とかもそうですし、撤回したり変更したりするのもその人の自由。
どう扱うかは自由なんです。
でも発言してしまったことは残る。

「水にありがとうと声をかけると水がきれいになる」って話ありましたよね。
非科学的な話としてネタになるわけですが、
これ、物理的に水がきれいになるわけじゃなくて、
「話しかけた人にとってはきれいに見えてくる」という認知心理学的な命題なんじゃないかと思います。

ここで一つ述べておきたいのは、
自分の発言は自分の思考を強化していく力がある、ということです。

言霊とでもいうか、悪く言えば呪詛ですかね、
「好き、好き」声に出したら元気になる(好きが強化されて色々ハッピーな感じに)。
「許さない、許さない」と繰り返していたら「許さない人」が強化されていく。

なので、何をどう発言しようが自由ですが、
内容は自分にも影響を与えて強化していくことを忘れずに、
自分が行きたい方向、なりたい方向に近づくような言葉を選ぶことが大切です。

…と導いていくと、自分を変えたかったら言葉を変えればいいんだなぁ
という結論に。
普段接する人、文章、メディアを変えたら自分は変わるんですねぇ(これは実感ある)。

なんだか洗脳のやりかたの話みたいな感じですが
これはこれで別の回にテーマにしておきますかね…

頭の悪いパナシ 30 – 捨てられない古くて不便なもの

10分トーク『Nacky × DJ TECHNORCH – 頭の悪いパナシ』の30回目です。

●レコードをデジタル化した後そのレコードはどうするのかというお話
●断裁してPDF化した本ですら捨てられない
●本は売れるけど捨てられない、レコードはそもそも売れないものすらある
●DJを集めて人にあげる (そこまでしても捨てられない)
●なぜここまで物理メディアに拘ってしまうのか
●でも本当に好きなレコードはMP3で本家から買い直してる
●もはやレコードの供養が必要
●でも本当は心から手放したいという矛盾

本の自炊、でっかい断裁機まで買ったのにね、全然やってないのw
レコードのデジタル化も、ぜーんぜんやってないのw

しかし数少ない自炊した本、録音済みレコードも、処分できない。
なんででしょうかね…

しかししかし、天災とかで失ったとしたら、それはそれであきらめがつく。
手元にコントロールできる状態なんだから、それはそれで
「手元に置いておく」という選択をしていることになるんだなぁ。

つまりは、コントロールを失いたくない、ということか。
でもそれにノスタルジーだとかあれこれ理由をつけて正当化してるだけなのかも。

もし、今私が死んだら、それら(本、レコード)の価値を認めてくれない家族や周囲の人は
何も考えずに処分してしまうことでしょう。

壮大なコレクション、貴重な歴史的価値があるんだったら、
どこかに寄贈して保管してもらう、展示してもらうということもできるでしょう。

実際、元『月刊バスケットボール』編集長の島本和彦さん(漫画家と同姓同名)に寄贈いただいて、
能代バスケミュージアムが成立しました。

しかしまぁ、レコード屋の片隅に100枚1,000円ぐらいの価値で置かれているレコードの山、
それがそんなことになるかというと…

話の中では国立国会図書館みたいなアーカイブを求めてますが、
今のところは出版元、レーベルに依存していますよね。

アーカイブの管理も金かかるんだよなぁ。
家に置いておいてもその面積分の金はかかってるわけで。

カネの面から考えたらとっとと売り払えばいいんですけどね。
「コントロールを失いたくない」だけでこんなに立ち往生してるんだなぁと改めて思います。

頭の悪いパナシ 29 – 限界はみんなで超えていくもの?

10分トーク『Nacky × DJ TECHNORCH – 頭の悪いパナシ』の29回目です。

●「人間が100Mを10秒切ることが可能」と認識した瞬間、トップアスリートの多くが10秒を切ったラインで戦うようになるのは何故か
●ウルトラCは今やあらゆるアスリートが達成出来るので現在「G」まで延びた
●beatmania/DDR、当時はSuperHighway/PARANOiA(MANIAC)をクリアする人間は「超人」だったはず
●しかし現在最新の音ゲーでは初めて数ヶ月の新人がやすやすとそれを到達するのは何故か
●もはや食べていいかどうかわからないキノコを探すことが不可能なのと同様、全人類が堆積式に新記録を達成し続けている
●1991年当時のハードコアのバスドラムよりも2017年のHouseのキックの方が太い
●音楽でも何でも誰かが出来るとわかった瞬間世界中が達成する
●ドイツ・ソ連の選手が(政府が選手に内緒で打った)ドーピング記録を、後年薬物無しのアスリートが越えていく
●結局のところ「できる」というイメージ・トレーニング
●ゲームが現実の「できる」を拡張しているかもしれない
●映画やフィクションで描かれる殺人の難易度と、米軍訓練士官が訴える実際の難易度のギャップ

※デーヴ・グロスマン 著 / 戦争における「人殺し」の心理学

人間は頭の中で決めた限界までしか行動しない(身体を守るため)、が、
偶発的に限界を超えた行動を見てしまったり、
今までの限界は超えられることを知ってしまうと、
新しい限界まで行動できるようになる。

新しい限界を知るのは現場での体験が一番だが、視覚情報や伝聞、つまり「見ただけ、聞いただけ」でも超えられそうなパターンがありそうだ。

自分自身で経験・体験しなくても、他の人間が出来てしまった「完成形」「答え」があると思えれば、そこに向かって努力できるし、実際に限界を超えてくる。

 
という仮説ですけども、既に検証されてたりしませんかね。
どの分野になるんだろう、心理学か、運動生理学か。

自分じゃなくて他人でもいい(10秒を切った走者がいる→他の誰かも達成してくる)とか、
実在の人物じゃなくてもいい(サッカー選手がキャプテン翼を目指してみた)とか、

イメージトレーニングとそれを達成する努力をするために、
イメージトレーニングのイメージをつかむために、
CGを駆使して、VRを駆使して、サクセスストーリーを先に経験してしまったら
なんとなく、できる人が増えそうな気がします。

文字や言葉では伝えづらい「うまくいったときのイメージ」を、
脳と脳で共有できれば、なんか素晴らしいことになるような。

知識の並列化、みたいな話ですかねぇ。
 

反面、イメージではできてるのに現実ではサッパリできない!という
ギャップに悩む人も出てきそうだな…

逆に、自分にはできないとか、常識的に考えて無理だとか、
限界を低く設定してしまって本来の能力を生かし切れてないパターンならたくさんありそうです。

人間は、成功のイメージがあればそちらに向かうようにできている、
そういう機能が備わっていると『サイコサイバネティクス』では説かれています。
(→だからそういうのをブロックするような思考はやめて解放していこう、という話)

が、なんだかあんまり翻訳もタイトルも良くない気がするんだよなぁ。

頭の悪いパナシ 28 – ToDoリストに幸福感と罪悪感

10分トーク『Nacky × DJ TECHNORCH – 頭の悪いパナシ』の28回目です。

●今日は「TODOリスト」のお話
●「罪悪感」が残らないTODOリスト
●そもそもやらなくてよかったスケジュール
●TODOリストの見直しっていうTODOが欲しい
●病気の専門書を読んでいたらその患者向けのTODOがあってそれが正にばっちりだった(認知行動療法的TODOリスト)
●やってることが変わらないはずなのに気分が違う

ウメハラが家の鍵をかける話は
頭の悪いパナシ15 – プロゲーマーウメハラに学ぶモチベーション維持
でした。

やることがシンプルなToDoは軽いんですが
自ら考えてやるタイプのToDoは重いです

すこし複雑なToDoはよりシンプルなToDoに分解するとラクになっていきます。

「ゴミを出す」というToDoも

「部屋のゴミ箱と台所のゴミ箱の中身を大きなゴミ袋に入れる」
「ゴミ袋をゴミ捨て場に出してくる」
の2つに分解した方が、より具体的で、1つずつがシンプルになります。

ToDoリストを分解していく作業は、
「これならすぐできるじゃん」
と思えるぐらいまでに落とし込んでいく感じなんじゃないかなぁ。

必ずしもToDoリストが良いか、と言われると、どうかはわかりませんが、
一度、しっかり使ってみるという経験をしてみると、いいです。

「使えるかどうか確証のないものを使ってどうするの?」
という疑問はナシでお願いしますw
使ってみるという経験をすることに意味があるので。

「todoist」って、あんまり日本には馴染んでないのかな、活用術みたいな本が出てないですね。
amazonでもkindle本が買えますが、洋書です。
「todoist Ninja」ってタイトルがすげぇな…と思って買ってみました。
後で読むことをToDoにしておこう…